2004年10月24日に仮オープン、
2005年3月13日に正式オープンした「哲学舎という名の美術館」の
経過を記録していきます

2004/10/24
哲学舎通信
紆余曲折を経て足掛け4年半の場所探しに苦労したが、2003年8月にたどり着いた
三重県のこの場所にマフィーの根を張ることになった。2003年10月に借地契約をし
一年間をかけて手作業で改築、改装を重ねてきた。その間、マフィーの会員の方や
多くの方にご支援、ご協力をいただき感謝の気持ちで一杯である。
とにかく、美術館、cafe、ガーデン、読書室、が何とか完成し胸を撫で下ろしている。
計画の7分くらいは進んだと思う。まだ数年をかけて取り組まねばならない作業が
残されているが、あせらずコツコツと実現に向け頑張るつもりである。

今日は待ちに待った「哲学舎という名の美術館」の仮の 開館日であった。
来年3月の正式なオープンを前に、とりあえず土日だけの開館である。
オープニングパーティという形式で、会員や世話になった方々に集まっていただいた。少し肌寒い中を総勢30数名の方がお祝いに駆けつけてくれた。
昨夜はほとんど寝ていないので、初めの挨拶が考えていたようには上手くいかなかったが、感謝の気持ちを伝えることは出来たと思う。多くの方が差し入れやらお祝いを持って来て下さり、みなさんの温かい気持ちに胸が詰まった。
楽しい食事の合間に、ライブや造形プログラム、絵本の読み聞かせなど、大人も子どももみんな優しい気持ちになれたようだった。
今日からが本当のスタートである。多くの方に喜んでいただけるよう、じっくり、ゆっくり頑張りたいと思う。時代背景や世相からしても、美術館の経営が困難を極めるであろうことは承知している。おまけに、誰でも参加できるという新しい試みの美術館である。だが、支援してくださる方がゼロではないことに、勇気をいただいている。まずは、石の上にも三年である。

2004/10/31

オープンパーティ後の、土日祝日営業の初日である昨日は、期待に反して来館者は
ゼロであった。初日から厳しい洗礼である。
会員以外は、まだ全く宣伝活動をしていないので致し方ないかも知れぬ。
しかし、今日はありがたいことに4名の方が来館してくださった。思わず心の中で
手を合わせた。美術館もカフェもとても気に入っていただきホッとした。
カフェの仕事は初めてなので、今までのような夜の仕事とは勝手が違う。
珈琲は慣れていたが、紅茶を出すのは初めてだったので、少してこずった。
葉っぱの量を多目にしてしまい少し苦くなってしまったが、ミルクティーなので何とか
飲んでいただけたようだ。だが、明日から入れ方の練習をしなければ。
まぁ、とにかく2日目が終わって一安心。
夜、疲れがドット出てしまい、うたた寝からそのままダウン。、      

2004/11/3

今日は祝日なので開館日であった。午前中は誰も来ない。
やはり、まだ無理かなと思っていたら、来館者ではないがスタッフのYさんが
植木を一杯車に積んで持って来てくれた。こんなに沢山どうしたのだろうと
尋ねると、知人の障害者施設のバザーで安売りをしていたから買い求めたという。
市価の2割から3割の安さなのでマフィーで買い取った。
急にカフェの中が観葉植物でいっぱいになった。おかげで一段とカフェらしく
オシャレになってきた。やはりグリーンがあると落ち着く。
機転の利く、買い物の天才Yさんに感謝である。

2004/11/6

10時の開館前に掃除をしていたら、表で話し声がする。
まさか、こんなに早くからと思いながら外に出てみたら、ご婦人が二人。
まだ開館まで少し時間があったが、慌てて準備して入っていただいた。
1時間ほどゆっくりされていた。帰り際にとても「とても素敵な時間を過ごさせて頂きました」
といわれたときには、思わず「やった!
」と思った。何よりもうれしい言葉である。
また、昼前に会員のFさんが、家族総出の9人でいらしてくださった。
オーダーをこなすのにてんてこ舞いであったが、なんとか無事に終えた。
天気がよく暖かだったので、子どもたちはガーデンで遊んでいた。
少しずつ手を加えながら、大人から子どもたちまで喜んでもらえるような美術館
にしなければと気合を入れなおした。

2004/11/11

今日は、久しぶりに朝から名古屋に出かけた。
私用もあったのだが、昨夜印刷した宣伝用の開館パンフを、知人の店などに
配布するためだ。5〜6軒お願いにまわって、夜は私用を済ます。
バタバタして帰宅は12時になってしまった。さすがに疲れた。
田舎暮らしに慣れてきたせいか、都会の空気とリズムが合わなくなってきたのだろうか。
それにしても、都会の人々はわけもなく忙しそうな気がしたが、なんなのだろう?

2004/11/14

昨日今日と開館日であったが、来館者は一組。名古屋から訪れてくれた。
建築関係の方らしく、随分細かい所まで見ていた。何だか素人の手造りが気になったのか
アドバイスをしていただいた。しかし、プロでは発想が出来ないアイデアに感心されていた
ようだ。なにせ、こちらは図面など無しのアドリブ勝負であるし、腐りかけた廃材を
平気で使っている。大工仕事に関しては素人だから、耐久性はおぼつかないが、
デザインに関してはこちらにも自負がある。帰り際に、奥方が「あのアイデアいただき
ましょうよ」とご主人にささやいたのを耳にしたときは、なんだかうれしかった。

2004/11/23

ここ一週間は、アルバイトに時間をとられていたが、cafeやガーデンの直しも結構
あったので、大工仕事に精を出していた。カウンター周りがさびしいと思っていたので、
思い切って三角の桟を入れてみた。少し山小屋風になり、雰囲気は良くなったと思う。
夜は、大安町にある「てふてふガーデン」というハーブのお店に、地元の人々の情報も
知りたかったので、開館のチラシを持ってピアノのライブを聴きに出かけた。
久しぶりのJAZZライブである。ソロであったが心地よかった。帰り際にお店の方の
了解を得て、宣伝させていただいた。

2004/12/10

この2週間あまりは、気温の変化が激しかったせいもあるが、いろんな疲れが
出てしまい、集中力が少し衰えていた。痛めた左ひじがなかなか回復せず、力仕事が
あまりできなかったせいもある。土日の開館日もまだ数人の来館者数である。 
来週あたり雑誌の取材が入るので、もう少し先まで辛抱である。
先週も、名古屋までチラシ配りに出かけた。知り合いの店を五〜6軒回る。
みんな、三重は遠いというイメージがあるようだ。名古屋からの距離は40Kだが、
道は良いので1時間で来られる近さである。香嵐渓よりは時間的にかなり近い距離である。
先日は、地域の来館者が3組あった。温かい言葉をかけて頂き感謝である。
今日は、 Yさんに協力していただき作成した、美術館の外に飾るサンタが完成したので、
ベランダに取り付けた。26日のXmas Partyが楽しみである。         

2004/12/15

いわゆる師走であるが、哲学舎はのんびりしたものである。
土日の開館日も、まだ知名度がないせいか、1組か2組しか来ない現状である。
3月までは試運転期間なのだからあせる必要もないのだが、あまり暇なのもまずいので
宣伝の戦略を練っているところだ。
今日は、庭に溜まっていた粗大ゴミを処分しに出かけた。役場で承認の印をもらい
処分場へ。スタッフのYさんに手伝ってもらった。案の定Yさんは、先回と同様に、帰り際に
ゴミの山の中から使えそうなものを探している。係りのおじさんに許可を得て、車に詰める
だけ持ち帰った。帰りの方が荷台が一杯である。捨てに行ったのか、もらいに行った
のか。もちろん後者である。係りのおじさんは、こちらの顔を覚えていて、
何に使っていたかわからない道具の説明をしてくれるほどの親切ぶりであった。
実はまだ欲しいものが沢山あったのだが、今はもう、捨てる粗大ゴミがほとんどない
のである。 年明けに少し出る予定だが、どこかで拾ってきて捨てに行くしか手がない。
それにしても、粗大ゴミ場は宝の山である。                            

2004/12/26

この一週間は、今日のXmas partyの準備に追われていた。
年末のアルバイトも入っていたので忙しい毎日であった。朝から風花が舞い
曇っていたので天気が心配であったが、昼頃から青空が少しだけ顔を覗かせ、
風も収まってきた。2時ごろに手伝いのメンバーが来てくれ、準備も順調に進んだ。
4時半ごろには参加者がボチボチと集まり出す。あたりはもう薄暗い。
道路には空き缶を利用した臨時の松明を点灯。一昨日取り付けたセンサーライトが
役に立った。ガーデンでは暖を取るためにたき火をした。5時半まではそれぞれが
飲んだり食べたり、歓談したり散歩したり、美術館を見学したりと自由に過ごす。
ほぼ全員30名が揃ったところで開会。「メリークリスマス」の乾杯のあと自己紹介。
今回は地元の方が二組参加してくださった。
6時過ぎから、美術館の「てつがくのへや」でAさんによる絵本の読み聞かせ。
前回もボランティアしてくださったAさんは、なかなかの芸達者である。
大人も子供も楽しんだひとときであった。その後は友禅染作家Nさんによる
来年のエトである酉の色紙実演即売会。特別に一枚千円での販売であった。
7時過ぎからは、ライブ演奏を楽しんだ。今回2回目のパンダさんがギターのOさん、
女性ヴォーカルのRさんを引き連れて懐かしいポップスを演奏し、オジサンたちの
喝采を受けていた。そのあと、毎回参加してくれているHOT BOX4人のの演奏。
今回は前回と趣が変わり渋い演奏であった。練習時間が取れないという働き盛りの
メンバーぞろいだが、回をこなすたびに上達していくのが微笑ましい。
最後は、みんなでクリスマスソングの合唱をして、楽しかったクリスマス会を終えた。

2004/12/31

あと数十分で2004年が終わる。 ふり返れば、実に大変な年であったが、苦労以上に
実りの多い年でもあった。
云うまでもなく、最大の喜びはこの美術館を開館させたことである。
何事も一人で出来ることなどはなく、誰かの助けや協力がなければ成しえない事ばかり
である。実に多くのこころある方たちにご支援頂いた。思いがけぬ方のご協力もあった。
スタッフも実に良く働いてくれた。
今、近くのお寺から除夜の鐘が聞こえている。 鐘の音が響くたびに、「みんなありがとう」
と心の中で感謝をこめてつぶやいている。
来年は、今年以上に大変な年になりそうだが、初志貫徹でやり抜くつもりである。
「災」の字が選ばれた今年の世相。自然は当り前の自律を繰り返しているだけである。
「災」の殆どは、大切なものを忘れてしまった人災である。
人間は何に向かって進歩していくのであろうか?
一度しかない生を何のために生かしていくのであろうか?
ここにいると、自然の声が聞こえてくるのであるが。

今日の大雪には参った。
朝早くから降りだした雪が昼ごろには10センチ積もったのである。
車は動かず身動きがとれず、家に閉じ込められた。
車社会の弱点と人間であることの小ささを教えられた。
何十年ぶりかの雪ダルマ作りは、童心に帰って結構楽しかった。
                               

2005/1/8

今日は、今年最初の開館日であった。
こんな寒い日には、誰も来ないであろうと思ったが、一応正月らしい飾り付けをして
来館者を待ったが、案の定来館ゼロであった。
閉館したあとに、ピアノを頂く予定のIさんが、美術館を拝見したいと訪ねてくださった。
13日に待望のピアノを運び込むことになり、年の始めから何だか縁起が良い。
この幸運がずっと続いてくれると良いのだが。                       

2005/1/13

午前中にカフェの配置換え。ピアノを置くスペースの確保である。
昼過ぎ、配送センターの車が到着し、ピアノが運びこまれた。
仕事とはいえ、250キロもあるピアノを二人で担いで運ぶのである。
柔道の帯のような幅広い紐で肩に掛けて吊り上げている。
掛け声をリズミカルに掛け合いながら、10数メートルを1分で一気に運び入れた。
見ているだけでこちらの肩にも力が入ってしまった。
搬入は30分ばかりで無事に終わった。しばらくはピアノを眺めながらうれしさを
噛みしめた。
午後は、さっそくピアノの掃除を隈なくして、模様替えに精を出した。
カフェの雰囲気が何だか急に都会的になったようだ。          

2005/1/21

今日は、四日市のIさん宅にいろんなものをいただきに出かけた。
大きな倉庫を壊すというので、中にある古いものをマフィーに寄付していただく
ことになった。古い机やタンス、食器やらとかなりの量である。
レンタカーでトラックを借り半日がかりで運び込んだ。
しかし、今のところ置き場所がないので当分は外にシートをかぶせて置くことに
なった。   細かいものなどは春になったら、バザールでも開いて処分しようと思う。

2005/2/2 

昨夜から降り続いていた雪が、朝起きてびっくりである。
今冬3度目の大雪である。年末の大雪もびっくりしたが、今日の積もり方は尋常ではない。
スノータイヤのない僕の車では、10センチも動けない。外出は諦めた。
食事は、昨日の残りのおかずと缶詰で、なんとか間に合った。
夕方、少し小降りになったので、もしやと思い雪かきをした。これが本当にきつい。
雪国の人たちの大変さが身に沁みてわかった。2時間ばかり轍の部分を雪かきしたが、
再び降りだしノックアウト。雪ダルマを創ろうとしたが、前回の雪と違ってサラサラで
固まらないのであきらめ、大人しく部屋にこもって事務作業をした。
それにしても物音一つしない。 「しんしんと降る」を体験できた一日であった。

2005/2/10

今日は、ピアノ調律の日。先日頂いたピアノは何せ41年前のもの。
掃除はしておいたが、中の様子や痛んでいるところは僕にはわからない。
昼過ぎに、会員でもあるT君が遠い所を出かけてくれた。
真面目な調律師である彼は、ほとんど休憩無しで4時間あまりもかけ
調律をしてくれた。古いものにしては、保管状態が良かったので、
修理する箇所は少なくて済むとわかりホッとした。
終わってから、T君のピアノと僕のベースで初ライブで遊ぶ。
やはり、生の音がカフェの中に響き渡るのはうれしい。
年内には、ピアノのコンサートを開こうと思う。

2005/2/20

ここ10日間あまりは、後輩の葬儀があったり、Iさんの引越しのお手伝いがあったり、
美術館の修理作業があったりと、心身ともに疲れる出来事が重なった。
今日は、美術館に高校時代の同窓会のメンバーが訪ねてくれた。
Tさんは同級だが、KさんとNさんは随分後輩である。
久しぶりに会うその笑顔は、年を感じさせない爽やかさがある。
2時間ほどお話をしながらくつろいでもらった。3人とものんびりリラックスできた様子で、
素敵な笑顔でここを後にしていった。
都会から来られる人たちは、みな同様にいい笑顔になって喜んで帰ってゆく。
やはり、自然環境の与える力は計り知れない。
アウトドアはもはやブームではなく、必然なのであろう。

2005/3/5

昨日あたりから、急に風が緩み、暖かさを感じるようになってきた。
春がそこまでやって来ているようである。
今朝気づいたのだが、ふきのとうが顔を覗かせている。
水仙の茎も伸びてきた。藤原岳の雪も少なくなったように見える。
ここでの初めての冬は、名古屋育ちの僕にはかなりきついものがあった。
暖房費も思いのほか掛かったし、雪に対する認識も甘かった。、
手が赤切れするほど無防備だったことも反省しなければならない。
カフェの中に置いた観葉植物が寒さでやられた。何たって、朝は零下3度くらいまで下がるのである。トイレの水道管も部屋の中でさえ凍った。
だが、失敗の連続であった冬が遠ざかろうとしている。
雪国の人々が春を待ち焦がれる思いが、少しだけ解かった気がする。

2005/3/13

数日続いていた春めいた陽気が、昨日から一変して真冬に戻ったようだ。
昨夜から降っていた雪が、今朝起きたら10センチばかり積もっている。
春の到来を喜んで芽を伸ばしたガーデンの草花たちは、きっと驚いたことだろう。
山はまだ三寒四温とはいかず、四寒三温である。
こんな雪の降る日に、珍客の到来である。昼前、仕事をしていたら、ドアの外で
ニャ〜と鳴く声がする。この一年の間、ここでネコの鳴き声を聞いたことはない。
誰かお客さんが連れてきたのかと思い外に出てみたが、声の主以外誰も居ない。
少しやせ細ったその仔猫は、黒い毛に包まれ首に鈴をつけている。
すぐに僕の足に擦り寄ってきて甘える。やけに人懐っこい仔猫である。
さて、不思議である。周りには誰も居ないし、雪が降っているし、人家は離れているし、
一体どこから迷い込んだのであろうか。
あまり鳴くので昼飯の一部をおすそ分けした。天気も少し晴れて来たし、
腹が膨れればどこかに帰っていくであろうと思ったが、一向にその気配はない。
それどころか、僕に付いてまわる。とうとう夕方になり、寒さも厳しくなってきたので、
不憫に思い晩飯もおすそ分けした。まだ、ネコを飼うまでの余裕はないので
困ったものだが、とりあえず段ボール箱に毛布を入れねぐらを提供した。
明日の朝もニャ〜と鳴かれたら、難しい選択を迫られることになる。
思案に暮れる今宵である。

今日は、「哲学舎という名の美術館」の正式オープンを記念したイベントの日であった。
同時開催として、夕方のパーティまでの時間を利用し、多くの方から寄付していただいた
品々を「楽市」としてバザー形式で販売した。かなり前から準備をし、助っ人も頼んで
当日を迎えたが、初めてのことでもあり結果は芳しくなかった。
中古品であれ、物を売るということが、かなり大変であるということを思い知らされた。
しかし、いろんな意味で良い勉強になった。
夕方からのパーティには30名あまりの方々が参加してくれた。
Tさんの主宰するフラメンコ教室の生徒さんが4人来て下さり、日頃の成果を発揮し
すばらしいダンスを披露してくださった。みんな大喜びであった。
続いて、いつも協力してくださっているAさんの読み聞かせ。今回は美術館ではなく
カフェでしていただいた。Aさんの語り口に大人たちも引き込まれて楽しんだ。
最後は恒例のライブ演奏。パンダさんバンドやHOT BOXの演奏でワイワイガヤガヤ。
一時間も延長して楽しいパーティが幕を閉じた。
こうして、正式にオープンに漕ぎ着けたのは、云うまでもなく会員の皆様をはじめ
無償で協力をしてくださった多くの方々のご支援のおかげだと、改めて肝に銘じた。

名古屋からここに引越しをして、丸一年が経った。昨年10月の仮オープン
までは、体力勝負の改装工事に明け暮れた。この4ヶ月は寒さとの格闘であった。
しかし、なんとか本格的なスタートラインに立たせていただいた。
あせらず、初志貫徹で自分に与えられた役割を遂行したいと思う。             

2005/3/20
2005/3/24

志摩に住む絵描きのYさんの紹介で、三重県を中心に発行している月兎舎という会社の
「NAGI」という雑誌の取材があった。訪ねてくださったのは、編集長のSさん。
楽しくお話をさせていただいたが、なかなか切れ者の女性であった。
この雑誌の存在を僕は知らなかった。いただいた1冊を拝見し、その充実した内容に
地方で発行しているとは思えない濃厚さがあったのには正直驚いた。
と同時に、三重県にこんなすばらしい出版物があることを、にわか三重県人として
うれしく思った。名古屋の地方誌がどんどんカタログ化していくのとは対照的である。
やはり、じっくりと構えて文化を形成していくには、地方という条件は有益なのかも
しれない。国土の30%に人口の80%が住んでいるという日本は、自然から学ぶ機会を
どんどん後退させているような気がする。
哲学舎という名の美術館の果たすべき役割が、益々見えてきた一日であった。           

2005/4/9

相変わらず暇な日々が続いているが、今日は菰野町のHさんが友人と5人で訪ねてくれた。
少しずつ暖かくなってきたせいか、虫たちと同じで人間も活動的になってくるみたいだ。
今年は全国的に桜の開花が遅れているようであるが、ここ数日の異常な陽気で一気に
満開となったようだ。しかし、ここにある枝垂桜はまだ5分咲きである。
一昨日からウグイスが鳴き始めた。モンシロチョウも飛んできた。いよいよ春爛漫である。                 

2005/4/15

数日前に電話があった伊勢の雑誌社の編集者が2人来館した。
伊勢では老舗の「伊勢文化舎」という出版社である。
2人ともまだ新米の記者であった。2時間ばかりいろいろとお話をさせていただいたが、
真摯な態度がすがすがしい。
ここに来るのに、なんでも4時間余りかかったそうで、恐縮した。
三重には先日のNAGIといい、名古屋とは一味違う雑誌文化が根付いているようである。

        

2005/4/24

朝晩はまだまだひんやりとするが、日中はかなり暖かくなってきた。
部屋の中よりガーデンの方が暖かいくらいである。 
就職が決まり社会人となったTさんが友人と来館した。
庭のクローバが勢いよく成長しているので、四葉のクローバを探すことになった。
子どもの頃よく探したものだが、なかなか見つからないのが普通である。
30分くらい挑戦して、なんとかみんな見つけることができた。
やはりうれしいものである。Tさんたちがどんな願いごとを持っているのか知る由もないが、
僕は、とりあえず美術館の無事と発展を祈った。
夕方、地元で世話になっているSさんが、先日ペンキ塗りを手伝ったのお礼にと、
米を1俵持ってきてくださった。早くも四葉のクローバがもたらした幸運である。
         

2005/4/29

今日から大型連休が始まった。相変わらずまだ来館者が少ない。
少しずつチラシを配ったりして宣伝を始めているのであるが、今日も来館者なしである。
一度来館された方は、また訪れたいと一様に云われるのだが、名古屋の友人や
会員の方たちは、三重県と聞くと何故か遠く感じるらしいのである。
名古屋市内から一時間で来られるのであるが、どうも山の奥にあって大変な所らしいと
いうイメージがあるらしい。一度来てみれば近いものだと分かるのだが、致し方ない。
果たしてこの連休中にどれだけの来館者があるのか、楽しみでもあり心配でもある。
昨日から急に暑くなったせいか、ガーデンの草花や樹木が元気である。
藤もきれいに咲きだした。すみれも数種類が咲いている。昨年に記念植樹したケヤキが
葉っぱを沢山出し始めた。数年後にはどれだけ大きくなるか楽しみである。
               

2005/5/5

好天に恵まれたゴールデンウィークもとりあえず終わった。
美術館への来館者は、心配した通り少なかった。
やはり、まだまだ知名度が低く無理からぬことかも知れぬと、自分に言い聞かせて
見るが、連休には顔を出すといっていた数組が来なかったのは、正直がっかりである。
しかし、初めての来館者が5〜6組あったのはうれしかった。
すべての来館者とゆっくりお話できたのが、また何よりの収穫である。
みなさんとは、ずいぶん良いお話し合いができたと思っている。
また、ガーデンで四葉のクローバを探し当てて、うれしそうな叫び声をあげていた
方が多かった。ここを訪ねたことがきっかけとなり、幸運を呼び込んでいただけたらと
祈るばかりである。
天気が良かったので、暇な時間を利用しガーデンの一部に芝生を植えてみた。
余りきれいに芝生を植える気はないが、雑草がすごく草取りに時間をとられすぎるので、
芝生を植え草取りの手間を緩和しようという試みである。
聞くところによると、芝生の管理は大変だというが、自然に任せようと思う。
          

連休後も晴天が続いていたが、今日は久しぶりの雨であった。
一週間前に敷いた芝生にとっては恵みの雨である。
この集落の周りにある水田では、ほとんど田植が終わっているようだ。
名古屋にいた頃は、大体6月の初めに田植をする所が多かったが、
どうして寒いこちらの方が早いんだろうか。昨日は来館者もなく暖かかったので、
4時頃から黒猫マフィー君を連れて、森を抜け水田を見に散歩に出かけた。
哲学舎のすぐそばには、小さいが結構魅力的な森が残っている。ほとんど私有地で
荒れ放題だが、反っていろんな植物を発見でき面白い。ウグイスやヒヨドリの巣もある。
森を抜けると一面に水田が拡がっている。日本の風景に選ばれても良いと思うほど
美しい。散歩を終え、ガーデンの手入れに精を出した。庭造りを始めてまだ一年も
経たないが、この地に合う草木たちは確実に成長しているようだ。
以前からあったツツジが、一輪だけ白とピンクのハーフとなって咲いている。
確か去年はすべてピンクだったような記憶があるが、今年はすべて白である。
何だか狐につままれたようである。ある来館者に見てもらったら、そういうことがあると
理科の授業で習ったというが、理科が苦手であった僕には何とも不思議な現象である。
ここに来てから、自然の摂理から学ぶことが実に多い。自然とうまくお付き合いさせて
いただきながら、数年後には、きっと素敵なナチュラルガーデンになっているよう頑張ら
ねばと、草抜きに精を出した。         

2005/5/12
2005/5/20

五月晴れの日が多くなり、少し暑さを感じるようになったが、まだ夜は涼しいくらいである。
今日は、スタッフのYさんが長浜の友人Kさんを連れて久しぶりに来館した。
当初から精力的に協力してくれたYさんも、来館者の有無が気になっている様子である。
相変わらず、まだ少ない状況だが、地元の雑誌などの取材も受け、少しずつではあるが
反応が出始めている。中には、哲学舎という名に惹かれて訪ねてくれる方もいる。
来館者の方とは、みなさんお話をするように努めている。今のところいい話し合いばかりで、
こちらもとても勉強になる。Kさんからは、長浜の黒壁について、いろいろ伺った。
やはり地元の方のお話しは面白いし為になる。一度長浜に出かけたいと思った。
           

2005/6/1

ここしばらくは、草抜きをはじめ、いろんな手直しやら修理やらで忙しかった。
粗大ゴミが結構溜まっていたので、Yさんと捨てに行った。この北勢町では、役場で
ゴミの内容の確認の証明をもらってから捨てに行く。もちろんただであるから助かる。
毎回そうなのだが、Yさんはゴミの中から、オブジェになるものや、リサイクルして
使えそうなものを探し出すのがうまい。いつも持って行ったゴミの倍くらいもらってくる
のである。今日も、係りのおじさんに頼んでいろいろもらった。中でも、戦後あたりに
使われていたガラスの扉は拾い物である。サツキとメイの家に使われているものと
同じ世代のものである。立て付けが緩んでいたがガラスは割れていない。
さっそく洗って干しておいた。何処に使うかは思案中である。
先日手に入れた丸太をペイントして、入口の雰囲気を変えてみた。
一年前に植えた蔦が、やっと2階まで届いたのがうれしい。5年後あたりが
とても楽しみである。いろんな自然たちが、哲学舎よりも順調に育っていくのが
少しうらやましいが、彼らに見習ってたゆまず頑張ろうと思う。
            

昨年の春に、敷地内にある鶏舎跡とビニールハウス跡の部分が、
隣接するパークゴルフ場の拡幅工事のため、立ち退きになるという報告をしたが、
その後、一向に話が進まない様子である。市町村合併によるいろんな問題があるらしく、
計画は大幅に延びる様子である。最初の予定では、この秋に完成のはずであった。
手を加えても、すぐに取り壊すのならもったいないので、そのままに放置しておいたが、
雑草がすごく、見た目もみっともない。折角ガーデンがきれいになりつつあるのに、
どうしたものかと思案していたが、思い切って最低限の手を加えることにした。
今日は、鶏舎の屋根と壁をペイントして、ビニールハウス跡の雑草の山を処分した。
一輪車で20杯余りの雑草であった。久しぶりの力仕事に手に豆ができはじけた。
あとは、ビニールハウス跡を整備して、草花を植える予定である。パイプにつる性の
草を絡ませて木陰を作り、お茶でも飲めるドームにしてみようかと考えている。        

2005/6/6
2005/6/13

今日は休館日であったが、来客があった。
名古屋でTシャツのプリントショップを開いているJさんが、スタッフのYさんの案内で
初めて訪れてくれた。彼はマンズという自分のアマチュアバンドを持っている。
僕もときどきベースマンとして、参加させていただく。
ここの空気と青空が気に入ったのか、青空に向かって唄いたいと、ガーデンで数曲
唄った。中でも「また会えたらいいね」という曲は、みんなに愛されている名曲である。
          

2005/6/17

一昨日の予定が雨で今日となった、TVの取材である。
一月に来館されたHさんの計らいで、三重TVの「わくドキ元気」という番組の取材を受けた。
Hさんは、桑名にあるiCAP三重コアラという会社の方である。
iCAP三重コアラは、子育てをしながら社会参加を果たす女性たちを支援する会社である。
約二年前にスタートしたらしいが、今や三重にはなくてはならない存在になっている。
スタッフも、子育てをしながら働く女性が殆どであるという。
今日取材に訪れたSさんも、子育てをしながら働く女性である。独りで機敏で回転が速い。
取材は、Sさんの手際の良さで2時間余りで順調に終わった。
三重TVでの放映予定は、7月14日(木)のPM6:30〜7:30の中の3分ほどで
あるらしい。何処でやるかは見ていないとわからないので、お見逃しなく。
それにしても、まだ無名な当館にとっては、本当に有難い話である。Hさんに感謝である。

2005/6/19

今日は味彩パーティの日であった。
心配していた雨も朝方には上がり、夕方まで何とか天気は曇りを保ってくれた。
北勢町の街の花は紫陽花である。今日は役場の裏庭で紫陽花祭りが開かれた。
それにちなんでマフィーのイベントを今日にしたのだが、なんと今日は父の日であった。 
そのせいか、数日前からキャンセルが相次ぎ、18名と参加者は少なかった。
30名分用意したのだが、半分近く残ってしまい、みんなにお土産として持ち帰ってもらった。
参加者は思わぬお土産に満足顔であったが、こちらは少し赤字となり内心青ざめた。
パーティの方は、半分以上が初めての参加であったが、ライブや造形プログラム、草野球
などで盛り上がったのが何よりであった。
名古屋からジャズピアニストのN/YANOさんが遊びに来て下さり、一緒に演奏した。
毎回参加のHOTBOXは今回2名であったが、渋い演奏を披露してくれた。
終わりがけに、シャンソンのS/HOTTAさんが来て下さり、数曲演奏していただいた。
ガーデンでは、スタッフのYさんがいつものように造形教室をしてくれた。
今回は、自然素材を使った風鈴やモール作り。みんな虫に刺されながらの熱中ぶりで
あった。暗くなってから急に野球をやろうということになって、大人と子どもの混成チームの
対抗戦で楽しんだ。今日は何だかみんなのんびりして、それぞれにリラックスしていた
ようだった。
迷い込んでから3ヶ月になる黒猫マフィー君は、子供たちに大人気であった。
普段あまり人が来ないので、静かに暮らしているマフィー君だが、
今日は一杯愛嬌を振りまいて疲れ気味であった。みんなが帰った後、すぐに眠り込んだ。         

2005/6/26

梅雨だというのに雨が降らない。毎日ガーデンの水やリが欠かせない。
初夏にもなると、ガーデンの草花たちも様相が変わってくる。
今日は日曜日だというのに来館者がなかった。暇に任せて久しぶりにガーデンの
花たちを写真に収めたので見ていただきたい。名前の知らないものが多いが、
雑草でも美しいものはやはり美しい。 名古屋ではもう終わったらしいが、ここでは
紫陽花がまだ元気に咲いている。それにしても一雨欲しい。        

2005/7/1

今日は、当館に出品されている東京のKさんが、遠路はるばるご主人とご一緒に
訪ねてくれた。Kさんには、準備段階から支援していただいていたので、
初めてお会いするのになんだか懐かしい気もした。2時間ほど滞在されたが、
ここの雰囲気をとても気に入っていただき、一安心であった。
今日は、諏訪市にある原田泰治美術館での授賞式の帰りだという。
めでたい話である。Kさんは、原田泰治美術館で行われた第2回キルト展に出品され
見事、優秀賞を受賞されたのであった。
これは、当館にとってもうれしい話である。
何かお祝いの品をお土産にと思ったが、相応のものが何もなかったので
ガーデンで美しく咲いていた紫陽花とくちなしの花を、腕一杯持ち帰っていただいた。        

2005/7/4

昨夜から、激しい豪雨が続いていた。今日は休館日である。
昼からスタッフのYさんと、菰野にあるパラミタ美術館に出かける予定をしていたが、
雨が止まないので夕方まで待って出かけた。
岡田財団が設立しただけあって、それは豪華な建物であった。
まさに、当館とは月とスッポンの違いがある。
閉館間際に着いたので、ゆっくりはできなかったが、20分ほどで駆け足で観覧した。
池田さんの般若心経シリーズは、噂どおりの圧巻であった。
完成させるまでに、どれだけの時間と集中力を費やしたのであろうか。
彼の中で、早くから死期への直感が働いていたのであろうと想像をせざるを得ない。

帰り際に、スッポンの意地で、当館の質素なパンフを置いてもらうよう頼んでみたら、
受付の方が笑顔で快諾してくださった。月の余裕である。

その後すぐそばにある、前から行ってみたかった「器屋」というギャラリー&カフェに
顔を出してみた。湯ノ山線の線路沿いにある、落ち着いた雰囲気のところであった。
離れのカフェで珈琲を飲み、オーナーにお願いして、ここでもパンフを置かせて
いただいた。
しばらく山に篭っていた僕にとって、今日は刺激になった一日であった。

2005/7/13

昼前に電話がなる。中日新聞の四日市支局からであった。
一時頃に取材に来るという。OKをしたが、急なことだったので驚いた。
おそらく写真を撮るであろうからと、美術館とカフェのチェックを急いでする。
館長らしい恰好をとも一瞬思ったが、どんな恰好が良いのか思いつかず、
持ち合わせの服もないので、普段どおりでいこうとポロシャツで出迎えた。
訪れた記者はまだ若手のNさん。珈琲を飲みながら雑談を始めたが、
もう、素早くペンを走らせている。何を云ったか記憶が定かでないが、
まぁ、明日か明後日の記事を楽しみにしよう。
まだ知名度が抜群に低いので、取材は本当に有り難い話である。       

2005/7/14

朝9時過ぎに電話がなった。中日新聞の取材記事を見たという方からだった。
その後数件の問い合わせがあった。
昨日の取材記事が、いつ掲載されるかは知らなかったので、少し驚いた。
新聞を取る余裕はないので、もっぱら喫茶店で読むことにしている。
仕事を終え、コンビニで数部買い求めた。北勢版のTOPに大きく掲載されていたので
有難かった。これで少しは哲学舎の知名度が上がったかもしれない。
夜は、三重TVで放映があったが、これまたTVがないので観られなかった。
知人にYTRを頼んでおいたので、明日ゆっくり観ることにする。
新聞掲載とTV放映が同日になるなんて、僕にとっても一大NEWSである。

2005/7/15

今日は、昨夜のTV放映を観たという方から、数件の問い合わせがあった。
北勢地域の方からが多かったが、遠くは、名古屋の方からの電話もあった。
VTRを頼んでおいた菰野町のKさんが、忙しい中をさっそく届けてくださった。
仕事を終えるなり、さっそく我が家の古いビデオデッキで観たが、
あまりの素晴らしい映像に、我がことのように思えなかったほどである。
取材をしてくださったiCAP三重コアラのSさんは、センスが良いとは耳にしていた。
2時間余りの取材内容を、たった一人でナレーションまで付けて編集されたかと思うと、
驚くばかりである。内容は、当館に対しとても好意的であり、必要なことはすべて網羅して
いただいた。 伺ったところによると、取材前に当館のHPを隈なく拝見されたとのこと。
Sさんのプロ意識には頭が下がった。
おまけに、iCAP三重コアラのHPにもレポートを掲載してくださったので、興味のある方は
下記のアドレスにてご覧ください。

iCAP三重コアラ  http://www.kuwana.tv/repview.php?frm_repno=603
       

2005/7/17

新聞とTV放映の効力なのか、昨日と今日で、20名近くの来館者があった。
イベントを除いて、こんなにも来館者があるのは初めてである。
マスコミの影響力は、こんなところにも発揮される。
うれしかったのは、地元である北勢地域の方たちが来館されたことである。
この様な地域で、都会からやってきた新参者が生き延びてゆくには、
どうしても地域の方たちの少なからぬ理解が必要であるからだ。
例え、少しでも会話がなされれば、あらぬ偏見を取り除くことが出来る。
夕方、いつものスーパーに買出しに出かけたら、パートの方から声をかけられた。
哲学舎のことが、マスコミに少し露出されただけで、この変わり様である。
とにかく、この辺りで髭を生やした風変わりな男は僕一人であるから、
偏見や変な警戒心が解けてゆくのは、実に有難いことである。          

2005/7/21

今月は取材が続く。
ひと月ほど前にお願いしていた、桑名にあるNPOの「みえきた市民活動センター」の
編集長であるIさんが来館された。「みえきた市民活動センター」は桑名やいなべ地域の
市民活動情報を提供し、市民が自らの手で街づくりをしていく上で、必要なことを支援して
いく組織である。その機関紙には、多くの市民団体や街づくりに頑張っているグループ
などが紹介されている。先月、封書にて哲学舎の企画展の掲載をお願いしただけなのだが、
Iさんの記事にしましょうというご好意により、取材となったわけである。
2時間ほどお話をしたが、取材というよりは、現代の社会現象や我々の役割などについての
話で盛り上がってしまった。有意義なひとときを過ごさせていただいたが、
Iさんは、ほとんどメモを取っていなかったので、どのような記事になるのか楽しみである。
それにしても、大都会とは一味も二味も違う、地方都市の奥の深さや人材の豊富さに
驚くばかりである。
やはり、自然環境の豊富さが、意識の熟成に影響しているとしか思えない。

みえきた市民活動センター http://www.mie-kita.gr.jp/miekita/index.htm                

2005/7/26

心配だった台風7号の直撃は、何とか回避された。少しの風と少しの雨を降らせただけで
通り過ぎてくれた。去年の台風で、ガーデンの草花がかなりやられたので心配であった。
今日は、休館日でもあったので、大工仕事をすることにした。ひと月程前に、
つた性のバラであるモッコウバラの苗を2本手に入れたので、小さな鉢で育てていたが、
幹を伸ばしたものの、葉っぱが青虫に全部食べられてしまっていたのである。
バラの苗などを育てるのは初めてであるから致し方ない。
昨日、隣りの藤原町にみえるバラ名人の店に相談に出かけた。いろいろ教えていただ
いて助かった。その名人は、十数年前に名古屋から引越しをされ、見事なバラのガーデン
を自宅の前に造られている。まるでイギリスガーデンの写真集に出てくる風景である。
さて、モッコウバラを壁に這わせたいのだが、壁際がコンクリートでどうしようもない。
仕方ないので、拾ってきた大きな醤油の樽に土を入れ移植することにした。
また土堀と土運びである。去年に比べれば10分の1の労力だが、大分鈍った身体には
きつかった。見ごろになるまでには3年はかかるらしい。
それにしても、庭造りは手が抜けない。子育てと同じかも知れない。
でも、僕には子どもがいないので、庭の草木や黒猫マフィー君が、僕にとっては
子どもみたいなものである。      

2005/7/28

夏休みに入り、子ども連れの来館者が増えてきた。
今日は、スタッフのYさんの案内で、名古屋から2組の親子連れが来館した。
その内のHさんの親子には、ホームステイをしているアメリカの高校生Jさんが同行して
来た。日本にも、哲学舎のような美術館があることを知ってもらうチャンスだと思ったが、
英語が苦手な僕は、うまく説明できず、芸術の森マフィーのHPアドレスを教え、英語版を
見てもらうことにした。Yさんが、子どもたちの為に造形プログラムを準備していたらしく、
1時間ほどみんな集中して制作していたようだ。青空の下での創作は、触発されるらしく、
面白い作品が出来上がったようだ。庭で遊んだり、仮装ごっこをしたり、スイカを食べたり
のんびりした一日を満喫して帰っていった。みんなの笑顔を見ていると、やはり、ここの
自然環境には不思議な力があるのかも知れないと思えて仕方がなかった。      

2005/8/2

今朝の中日新聞名古屋版市民欄に、哲学舎の記事が掲載された。
ここでは名古屋版は見られないので、まだ見ていないが、朝から電話が多く鳴る。
情報によると、カラーで大きく扱われていたらしい。
電話の主は、殆どが久しぶりの知人ばかりである。僕が三重に移住したことさえ知らない
人が多かったので、まるで同窓会のような一日であった。
美術館に興味を持って問い合わせてくれた方も数名あったので、うれしかった。
情報源としてのマスコミの影響力は大きなものがある。
今回の記事で、来館者が増えてくれれば有難いのだが、情報が氾濫している現代、
数日すれば忘れ去られていく気がしてならない。
果たして、どれだけの人が足を運んでくれるのか、楽しみに待つことにしよう。        

2005/8/8

この一週間は、連日のように雷雨か夕立が続いていたが、
今日は、本当に久しぶりの青空が拡がった。今は星もきれいに見えている。
昨年に比べると、星空が見える日はほとんどない。一体どうしてしまったのだろうか。
異常気象という言葉も、聞き慣れてしまったが、それにしても何かが変化しているようで
考えさせられるものがある。
連日、愛知万博の報道が続けられているが、自然の叡智から何かを学んだという
入場者達の声は聞こえてこない。ここにいると、嫌というほど自然の叡智に翻弄され、
人間の小ささを思い知らされる。人間と違って、自然は気まぐれなミスを犯さない。
そして、人間以外の動植物が、共生のシステムの中で生を全うし循環しているのが
良く分かる。
学ぶものが多すぎる田舎という存在である。
今は、自然の叡智より、人間の叡智が問われているのではなかろうか。

2005/8/14

数日前から、お盆休みが始まっているらしく、昨日今日は珍しく来館者が多かった。
新聞の記事を見た人が数組と、久しぶりの友人たちが数組訪ねてくれた。
来館者たちは一様に、ここの環境や静けさが気に入ったらしく、のんびりと数時間過ご
してから帰途に就く方が殆どであった。 1FのカフェではBGMを流していない。
開け放たれた窓からは、自然の生きものたちの声や風の音が、心地よく聞こえて
くるからである。人は誰でも、心が落ち着くと、素敵な会話が出来るものである。
僕にとっても、素敵な会話ができることはとてもうれしい。一期一会の心境になれる。
来館された方たちが、穏やかな笑顔で帰られる姿は、この上ない喜びである。         

2005/8/18

今日は、三重県下で発行されている伊勢新聞社の取材を受けた。
取材に訪れたIさんは、以前、名古屋の編集プロダクションで働いていた経験があり、
名古屋での昔話にも花が咲いた。 
この2ヶ月の間に、新聞が3回、TVが1回、ミニコミ誌が1回など、哲学舎の記事が
露出した。正式にOPENしてから半年余りが経ったが、まだまだ知名度は低く、
運営は火の車である。宣伝費も儘ならない現状において、このような取材は実に有難い。
取材を受けるたびに、初心に帰って頑張らねばと決意を新たにする。 
伊勢新聞  http://www.isenp.co.jp/           

2005/8/20

朝からすごい雨が降っている。雷も尋常ではない。夏も終わろうとしているのに、
まるで梅雨明けのような日が続く。庭の草木たちにとっては恵みの雨である。
一昨日の伊勢新聞の取材記事が朝刊に載った。

2005/8/24

昨日、一昨日の閉館日は、スタッフのYさんが主宰している造形クラブねっこのキャンプが、
朝明キャンプ場で行われたので僕も手伝いに出かけた。 
キャンプファイヤーとゲームの担当であった。若い頃、YMCAでスタッフをしていた
経験から、子どもたちを自然の中で楽しませる技は身に付けていた。
20数名の小規模のキャンプであったが、内容は濃いものがあり、僕にとっても
久しぶりの充実した経験であった。川遊びや飯ごう炊爨、水鉄砲作りや野外ゲームなど
盛り沢山の2日間であった。いわゆるアウトドアとは違って、不便な中でのキャンプの
経験は、子どもたちに生きる上での大切な自信をつけさせる良い機会である。
帰り際に見せた子どもたちの輝いた顔が、 都会の日常に戻っても続いてくれることを
祈るばかりである。      

2005/8/28

すっきりしない天気が続いていたが、今日は久しぶりの好天であった。
そのせいか、4組も来館者があった。京都からいらした方がいたのには驚いたが、
お話を伺ったら、地元の知人に教えていただいたという。僕の知らないところで、
こういう形で哲学舎のことを応援していてくださる方が見えると思うとうれしい。
地道にコツコツと頑張っていくことの大切さを、忘れないようにしたいと思う。
夏も終わりに近づいたが、ガーデンの草花たちは元気に頑張っている。
コスモスも少し咲き始めた。5月に植えた芝生が随分伸びてきた。来年の春には
生え揃っているだろう。毎朝2時間近く草抜きや庭の手入れをしているが、
自然の力強さには到底かなわないものがある。雑草に教えられる毎日である。
         

2005/9/1

今日は、朝8時過ぎにラジオの電話取材があった。東海ラジオの「モーニングあいランド」
という番組の中の、地域の話題コーナーであった。
3分ばかりの中で、当館のことを十分に伝えるには無理があったが、何とかポイントだけは
話せたように思う。事前に話す内容を考えていたが、打ち合わせ無しのぶっつけ本番で
あった。パーソナリティの出してくる質問に答える形になったが、昔、Jazzを演奏していた
経験があるので、アドリブには慣れていた。
朝の時間にAMラジオを聴いている人は、通勤途中の運転手くらいであろうから、期待は
していなかったが、10時過ぎた頃、2件の問い合わせがあったのには驚いた。
マスコミ侮るべからずである。            

2005/9/4

相変わらず、来館者のない日が続いていたが、今日は日曜日ということもあって、
6人も来館者があった。みなさん、以前掲載された新聞記事を見て、来られた方ばかり
であった。切抜きを持ってこられた方もいた。ありがたい話である。
おまけに、今日は、昨年から計画されていた隣接するパークゴルフ場の拡張工事に関して
現地での測量がある日だったのである。地主さんたちが10数人と役場の係りが3人来て、
午後まで測量をしていた。当館の地主さんも、神戸から駆けつけていて、僕にとっては
慌しい一日であった。昨年5月、拡張工事に際し、土地を移転交換して欲しいと、議員さんと
自治会長が見えた。こちらにはもう利用計画があって、準備をしていたのだが、地主さんの
立場を考慮し、交換に応じることにしていた。 その後一年余りも、役所からは音沙汰無し。
手を加えても、どうせ取り壊すのだからと、荒れ放題になるまで放置していた。
しかし、今日地主さんが、役場の担当者にその件を尋ねると、いとも簡単に、現状のまま
工事しますと言うではないか。それはないだろうと思ったが、賃借人の立場ではなんとも
出来ない状況である。 また一から創り直しである。
過去の経験においても、どうも役場の対応は、住民に優しくないような気がする。
数年で担当者が変わっていくのだから、無責任にならざるを得ないのかも知れぬが、
せめて、説明責任を果たしてもらいたいものである。

2005/9/7

昨日は、夕方から台風14号の影響で風が強くなった。夜半には雨も強まり、
直撃を免れたはずであったのに、その規模の大きさから、この地域も強風に巻き込まれた
ようだ。深夜あたりから、風がまさにうなり声を上げ、朝まで吹き続けたのである。
時折、風速20Mくらいの突風が吹き、鉄骨の住まいをも揺らせた。
案の定、今朝起きたら、庭の草花がやられていた。玄関前の門扉も、支柱が裂け折れて
いた。コスモスは全部倒れ、育ち盛りの若木は倒れかけていた。
おかげで、朝から一日中直しの作業に追われた。
直撃を免れて、この有様だから、上陸通過した地域の惨状は、ニュースを見るまでもなく
思いやることができる。毎年、台風だけは有難くない、自然からのメッセージである。

2005/9/12

久しぶりに抜けるような秋空が拡がった。朝顔がきれいに花を咲かせ、藤原岳も雄姿を
現した。洗濯をしようとしたら、洗濯機に赤トンボが交尾しながらとまっている。自然の生き
ものたちも、いのちを謳歌している心地よい日であった。
今日は休館日であったが、朝方、先日の東海ラジオを聴いたと電話があり、
大垣の美容院「art chic」のKさんが訪ねてきた。放送の中で、僕が資金難から廃材を
利用したり、粗大ゴミを拾ったり、もらったりした材で改装したことを話したが、それを聴いて、
知り合いの解体屋から材木をもらってわざわざ持って来てくださった。 
ちょうど、アトリエやドームの改装作業に取り掛かろうとしていた矢先だったので、とても
助かった。ラジオを聴いただけで、会ったこともない人に親切にしてくださる方もいるのだと
思うと、この世もまだまんざらではないとも思ったりもした。 ある意味では、そういう方たち
の夢の一部を、僕が担っているのだと思うと、これも随分励みになる。有難いものである。             

2005/9/14

毎月1回発行される中日新聞の折込に、中日ホームニュースというのがある。
今日は、桑名の中日ホームニュースから取材があった。
来館された記者は、Mさんという若手の女性記者。 1時間半ばかりお話をしながらの
取材であった。今までに数件の取材を受けたが、三重県の雑誌や新聞の記者は、
みな話題が豊富で話していても面白い。地方紙を何とか良いものにしようという気概が
感じられる。都会の煩雑さとは違う中で、自然のリズムに合わせた生き方が、若いうちから
ジャーナリズムを育てているのかも知れないと思わされた。
やはり自然から教えられるものは大きいのであろう。      

2005/9/19

名古屋でお店をしていたときのお客さんに菰野町のMさんがいた。
今日は、久しぶりにMさんが4人で訪ねてくれた。懐かしい話に時を忘れたが、
Mさんが主催する観月会を、すぐ近くの東林寺で今夜開くという。
僕も誘われたので、用事を済ませてから一時間ばかり遅れて出かけた。
参加者は、少し前に東林寺の本堂で座禅を組んでいたという。僕がついたときには
もう、みんな野外にセットされた宴会場で月の出を待っているところだった。
稲刈りを終えた田んぼに、ビニールシートを敷き、テーブルを並べての宴会である。
幸い好天に恵まれ、八時前に小高い山の奥から、見事な十六夜の月が顔を見せた。
本当に、すぐ間地かに月がいるような錯覚にとらわれるほど見事であった。
都会では、とても叶わぬ贅沢なひとときであった。参加者によるライブや俳句の句会もあり
久しぶりの風流を楽しんだのである。
来年は、ぜひ哲学舎でも観月会をしたい衝動に駆られたが、東林寺ほどの絶景を満喫
できるような場所は、残念ながらなさそうである。

2005/9/21

ビニールハウスの跡を、日陰でお茶を飲めるスペースに改造することにした。
いわゆるグリーンドームを創るわけである。
近所のSさんが、以前から余っている材木があるといわれていたので、今日、遠慮なく
もらいにいってきた。1M50cmくらいの角材を40本ばかりいただいた。
とりあえず、草が茫々なので整地から始めた。これがまた重労働である。
来年の春までに完成させる予定だが、まぁ、腰を痛めないようゆっくりやることにする。 

2005/9/26

この一週間は、ドーム造りに精を出した。 来館者もちらほら来るようになってきたが、
午前中はまず来ないので、もっぱら作業に専念している。
今日は、スタッフのYさんが、名古屋からブロックをもらったといって、70個ばかり運んで
くれた。 二人で車から降ろしたが、かなりの重労働であった。夜になったら腰が少し痛む。
バイトもしなくてはいけないので、大変な日々が続く。随分涼しくなった分助かるが、
やはり、歳のせいか疲れがなかなか抜けないのが困る。まぁ、のんびりでもやるしかない。

2005/9/28

今日は朝早くから取材であった。 毎日新聞が月に一回発行している「くりぱる」という
折込の小冊子である。その表紙を担当しているイラストレーターのchさんは、古くからの
知人である。夏に家族で初めて遊びに見えた。この環境と雰囲気がいたく気に入った様子で
ぜひ取材しましょうという話になっていたのである。編集者のSさん、ライターのOさん、
そしてイラストレーターのchさんの3人が訪れた。僕と年代も近いこともあり、打ち解けた
雰囲気の中で、温かい取材となった。 10月末に発刊される「くりぱる」が楽しみである。
「栗パル」編集室     http://www.maing.co.jp/kuripal/